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2025年7月27日、本田圭佑氏が率いるアジア各国の元選手による特別チーム「Asia Warriors」が、マレーシアのセランゴールFCと親善試合を行いました。
試合は0-0とスコアにこそ動きはなかったものの、現役時代さながらの巧みなプレーと、ベテラン同士の読み合いが随所に見られ、特別結成されたチームならではの味わいある一戦となりました。
今回エムタウンでは、この試合にスタートメンバーとして出場した元日本代表・柿谷曜一朗さんに試合前にお話を伺いました。
2025年1月に現役引退を発表した柿谷さん。かつて“天才”と呼ばれ、日本代表や海外クラブでもその非凡な才能を発揮してきた彼が、引退後に見つめる新たな未来とは──。
引退から半年。彼の言葉には、静かな充実と、新たな情熱が込められていました。
「サッカーばかりやってきたので、引退後はもっとサッカーに執着すると思っていました。でも、翌日からまったくそう思わなかったんです。」
そう語る柿谷さんの表情は穏やかで、どこか晴れやかでもありました。
引退という大きな決断の直後、自分の中に自然と湧き上がった“やり切った”という実感。
それは、20年以上にわたりサッカーと向き合い続けてきた彼だからこそたどり着けた心境だったのかもしれません。
天才と称され、常に期待と注目を浴びてきた日々。その舞台を離れてなお、柿谷さんは清々しさとともに“次のフェーズ”に向かおうとしていました。
印象に残っている試合について尋ねると、スイス・バーゼル(FC Basel)在籍時に出場したチャンピオンズリーグでのレアル・マドリード戦を挙げました。
「一流の選手たちと同じピッチに立って、“とうとうここまで来たか”という感慨がありました。夢のようでしたね。」
世界最高峰の舞台に立ち、サッカー人生の一つの到達点を体感したあの瞬間。その記憶は、今も彼の中で色あせることはありません。
今回参加した「Asia Warriors」は、本田圭佑さんが中心となって結成された、アジア各国の元代表・元プロ選手によるドリームチーム。柿谷さんもその一員として、久しぶりにピッチに立ちました。
「“こんな選手がもう引退してしてしまったんだ”って思わせたいんです。若さには勝てませんが、経験を活かして賢く戦いたいですね。」
勝負に対する情熱は、現役を離れた今も色褪せることはありません。ピッチに立てば、たとえ親善試合でも本気になる。
「勝ちにはこだわります。やっぱり“レジェンド”といっても、プライドがありますから。」
試合結果以上に、ピッチに立つ姿勢そのものが、次の世代への強いメッセージでもあります。
また、現役時代とは違う視点での海外滞在にも、柿谷さんは新鮮な喜びを感じているようです。
「現役のときはホテルとスタジアムの往復だけで、街を知る余裕がなかった。でも、今はその国の文化や人にちゃんと触れられる。マレーシアでは着いた初日から人の温かさを感じています。今後は、そういう出会いをもっと楽しみたいですね。
引退後、柿谷さんは自身の経験を“社会へ還元する”ことに力を注いでいます。
「現役の頃は気づかなかったけど、スポンサーや企業がどれだけの思いでチームに関わってくれていたのか。今なら、そのありがたさがよく分かります。」
メディアとの接し方も、大きく変わったといいます。
「ちょっと足を止めて話すだけで、メディアの人は本当に喜んでくれる。現役中はそれがわからなかった。僕たちの活動は周りの人に支えられている。そういうことを、若い選手たちに伝えていきたいですね。」
伝えること、つなげること──その姿勢は、地域や社会へのアプローチにもつながっています。神奈川県・湘南で開催したゴミ拾いイベントには、なんと約3,000人が参加しました。
「ゴミ拾いに興味を持って、楽しんでくれて、子どもたちも笑ってくれた。環境の大切さを体験から学んでくれたら、すごくうれしいです。」
大人も子どもも一緒になって取り組むことで、“学び”と“気づき”が生まれる。そんな価値を伝える活動に、彼は手応えを感じているようです。
「サッカーを教えたいというより、“遊び”を伝えたいんです。」
柿谷さんが注目するのは、技術的な指導ではなく、“遊び”の中から育まれる想像力と自主性です。
「何かあったときにすぐ親の顔を見る子が多いけれど、自分で選ぶ力を身につけてほしい。けがも失敗も全部が学びになる。」
「ボール1つで時間を忘れて遊べることも伝えていきたい。ボールがあれば色んなことができて、無限に楽しめるんだよ、ということを伝えたい。自分で考えて遊びを作ったり広げていくことができるようになってほしい。」
大人も巻き込むイベントや、体を使ってふれあう場づくり。そうした取り組みは、単なるレクリエーションではありません。
“考えて動く力”を育てる教育的な場と位置づけています。
今回のマレーシア滞在をきっかけに、柿谷さんの視野は東南アジア全体へと広がりました。
「タイのプロジェクトで、サッカーをしたくても環境が整っていない子がたくさんいることを知りました。そんな子どもたちの可能性を、日本につなげたいんです。」
1人の才能が見出されることで、家族や地域の未来が変わる──そんな可能性を信じ、企業との連携も模索しています。
「“ダイヤの原石探し”は南米では当たり前のように行われてきた。東南アジアでも、きっとできるはずです。」
さらに、日本の若手指導者が海外で活躍する道にも注目しています。
「有名選手でなくてもいい。日本の若い指導者たちには熱意があるし、レベルも高い。いい指導者に出会うことで、選手の人生は大きく変わる。僕自身もそうでした。」
指導者としての道を歩むつもりはないと話す一方で、“橋渡し”としての役割には強い意欲をのぞかせます。
最後に、海外で暮らす人々に向けたメッセージをお願いすると、柿谷さんは少し言葉を選びながら、丁寧に語ってくれました。
「海外で生活しているということだけで、本当にすごいこと。僕も短い間でしたが、海外で暮らした経験があります。その大変さや苦労は本当によくわかっているつもりです。」
「語学や生きる力、日本では得られない経験が、そこにはたくさんある。甘えのきかない環境の中で、自分の可能性を広げていってほしいと思います。」
ピッチを離れてもなお、サッカーを通じて社会と人に向き合い続ける柿谷曜一朗さん。
引退は終わりではなく、彼にとっての“始まり”でした。
サッカー人生の“その先”に、彼がどんな物語を紡いでいくのか。
これからもその歩みに目が離せません。