ホームインタビュー「人と人をつなげながら、societyを創っていく それが百貨店の役割」 SEIBU KL社長 湯谷信治 氏
「人と人をつなげながら、societyを創っていく  それが百貨店の役割」   SEIBU KL社長 湯谷信治 氏

「人と人をつなげながら、societyを創っていく それが百貨店の役割」 SEIBU KL社長 湯谷信治 氏

2024.01.11 特別インタビュー

最初にマレーシアに来られたのは?

1983年に株式会社伊勢丹に入社し、新宿店の婦人服を長く担当してきました。百貨店に就職したのは、伊勢丹に勤めていた父親の影響が強かったですね。30歳直前で昇進試験に合格してバイヤーになり、1996年の3月からの5年間、初めてマレーシアに赴任しました。 


当時の様子を教えてください。

赴任から1年半バングサに住んだあと、子どもをモントキアラインターナショナルスクール(MKIS)に通わせるためモントキアラに引っ越しました。当時のモントキアラは、プラザモントキアラが唯一のショッピングモールで、MKISより先はまだ道もなくジャングルとバラックが見えていました。

伊勢丹は1990年に1号店をLOT10に開業し、国内初のインターナショナル百貨店として、グッチやベルサーチ、CK、DKNY等も取り扱っていました。ただこの当時はまだ、海外品に対する関税も高く市場も成熟していなかったので、多くの消費者にとっては贅沢な存在でした。 

大きな転換期となったのは、1998年のスリアKLCCの開業です。マレーシアで最初にできた10万平米を超える都心型の高級モールで、伊勢丹はアンカーテナントとして出店。

インターナショナルブランドや化粧品に加え、ファッションゾーンには伊勢丹のオリジナルブランド、また日本らしい食品売り場を備えた店として話題となり、その後に開発されたパビリオンKLやガーデンズモールなどの都心型高級モールの先駆けとなりました。


 一度帰任後、再び赴任されたのですね? 

2001年3月に帰任、新宿店で営業部長を6年務めました。普通は3年くらいで、流石に6年もすると国内に留まって偉くしてくれるんですけど、なかなかしてくれなくて(笑)。

当時の海外事業部長に「そろそろ呼んでくださいよ」なんて言ったら、本当に呼ばれちゃって。2009年の4月から今度は社長として、2回目のマレーシア赴任となりました。
 
海外ではスピードが命。かなりアグレッシブに(勝手に)プロジェクトを進めてしまい、ミスター百貨店マンこと大西社長(当時)の怒りを買い?(笑)、また他のプロジェクトが進行していた事もあり、通常任期3年のところ2016年3月まで7年間在任しました。
 
在任中に、ららぽーと(三井不動産)やTRX(Lendlease)より伊勢丹出店のお声がけもいただき、特にTRXについては前向きに検討していましたが、同じ時期に当時日本の伊勢丹が強力に推し進めていたクールジャパン事業の話しが具体的となり、TRXへの出店を断念しました。もし伊勢丹がTRXに出店していたら、今私はマレーシアにはいなかったわけです。 


どういった経緯でSEIBUに?

今思えば島流しの7年があったからこそ、その間にマレーシアにおいて多くのネットワークを作ることができました。今、私の直属の上司であるカンパニーチェアマンのDatuk Alfred Cheng氏とも、彼がパークソングループのトップの時代に知り合いました。

日本好きなので寿司と日本酒で親交を深め、将来一緒に仕事が出来たら良いねと言うような話しはしていました。その Alfred氏よりTRXにSEIBUを出すことになった、ついては一緒にやってくれないか?と連絡をいただきました。

2018年10月に六本木の鮨中村で大好きなお寿司を食べながら、彼が考える高級百貨店構想をとくとくと聞かされ、経験上マレーシアでは難しいのでは?と思いながらも、Alfred氏の「情熱と自信」に「鮨と酒」の力も加わり、翌日には決断。2019年3月に三越伊勢丹を退職しました。 

「我々はあくまでも外様。常に現地の人たちと共に」という思いを大切に、売り場をまわりニーズに耳を傾ける日々だという。

 


目指すものとは?

人を介したサービス。これが百貨店の最大の強みです。人を介してお客様に幸せになっていただき、非日常を感じていただきたい。ただモノを買いに来る場ではなく、人と人をつなげながら、いわゆるsocietyを創りあげていきたいと思っています。
 
伊勢丹新宿店にメンズ館がオープンした時、集まったのはファッション好きなオシャレな男性でした。

それまで百貨店の紳士服と言えば、65%は女性の奥様方が「代理購買」でご主人の日常品を購入することが多かったんですが、その市場を劇的に変えたのが「イセタンメンズ」の誕生でした。

オシャレなファッションリーダーが良いものを求めて来店すると、その情報を耳にしたフォロワーのお客様が多く訪れ、一つのオシャレコミュニティーが形成されました。それこそが百貨店の文化だと考えます。 

大衆型の時代は終わりました。
伝統を継承しつつ「新しさ」を取り込み、存在価値を見出していかないと生き残れません。

不特定多数から特定少数に対し、より高い付加価値を提供し、お客様にとっての「MYストア」になりたいと思っています。お店づくりは子育てと同じです。成人になる姿を見たいなと思いますが、その時は80歳を超えていますからね。5年後、10年後までは成長をしっかりと見届けながら、みんなから愛される店に。すごくシンプルだけど、それが目指すところです。 

11月29日にオープンしたSEIBU 
湯谷氏(右)と共に鏡開きを行うDatuk Alfred Cheng氏(左から3番目)  

 

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